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友人が亡くなってX年が経つ。彼女は私にとって高校における唯一の友人だった。友人を失った自分を嘆くだけだった最低な私だが、長い時間をかけて友人の死と向き合い、その死を悼んでいる。

私が高校を辞めないでいられた理由でもあった彼女とは、一年生で同じ学級となった時に知り合った。私立の(自称…)進学校という環境と、背負わされた期待の重みからか、生徒も教師も大学受験への意識が高く、やや異様な雰囲気が漂う学校に、鬱蒼とした気持ちを秘めているのが互いに伝わったのか、気づいた頃には一緒にいた。

彼女は変わり者…、個性的だった。八方美人というほどではないものの、辺りを歩き回ってはどこかで話に花を咲かせている、とびきり愛され上手な日和見主義。だけど、飛び抜けて頭の良い秀才。何が彼女を突き動かしていたかはわからない。いつも難しそうな勉強をしていて、授業は一切聞かないし、私と同じか、それ以上に学校という環境を嫌っていた。

薬剤師を目指していた彼女は、あろうことか不摂生で抑圧した生活を自分に強いていた。私はどうしてそこまで生き急いでいるのか隣で不思議に思っていたわけだが、その割には「適当に生きてこうよ、きっとそのうち良いことあるよ!」などと軽く言って笑う。適当に、なんてよく言えたものだ。彼女ほど堅実に将来を見据えて努力を重ねてきた人など、あの学校中を探してまわったとて見つからないだろうに。

テレビに映し出される死の薄っぺらさと日常に割り入って目の前に現れた死の重さは、なぜこんなにまで違っているのだろう。涙が出てくるわけでもないのに苦しいくらいの動悸がして、嘘みたい、そう思うのに、いや、もはや何もわからない。彼女はもう死んでいて、私はまだ生かされている。それだけが事実だった。あまりに過去に囚われすぎていてはいけないとわかっていても、いっそ忘れてしまいたいほどの後悔に苛れる。

不適切な物言いとわかっているが、人の死は人の死でしか昇華できない部分があるのかもしれない。大事な人を失うという死の経験がなければ、喪に服す人に寄り添うことが難しい。あの時、私のそばにいてくれた人は誰もいなかった。両親すらその話題を口にすることに躊躇いがあるようで、泣いている私を遠巻きに見ているだけだった。

唯一、当時の担任が「時間だけが傷を癒やしてくれる」と、二者面談の時だっただろうか、そんな言葉を投げかけてくれた。先生の立場から言葉を選んで寄り添ってくれたことが素直に嬉しかった。埃っぽい空き教室にいた私は返す言葉が見つからず、ずっと俯いていて、ひとつ頷くことしかできなかったけれど。きっと傷は癒えるのではなく、忘れていくだけなのだと思う。向き合うことすら出来ないまま時間だけが過ぎて、記憶が薄れていく。思い出そうとした時には思い出すこともできなくなって、そのことがまた、痛い。

とある舞台を観に行った。当時の推しが主演だった。役の中の彼と、彼が所属するグループとを重ね合わせて観てしまっていたが、あれから数年が経って、この喪失感と忘れるということについて、自分の持ちえない視点をもらっていたことに気づかされた。

私は忘れることに怯えていた。映画『リメンバー・ミー』の死生観(生きている人に忘れられることが3度目─永遠の死)に触れたのが先だったという事情もあってか、彼女の名前が忘れられていく。遠くからでもよく通る、あの不思議な声を私さえもが忘れてしまう。冷たい手汗が滲む手のひらだとか、肩を寄せ合って冬道を歩いた日も、全部忘れて過去のことになっていくのが怖くて仕方がない、そう思っていた。

その人の時間が止まるというのは、どういうことなんだろうなあ。はっきりと言ってしまえば、彼女ひとりいなくなったところで何にも変わらない世界だった。だけど、新学期明けの健康診断に一緒に行こうと話をしていた彼女は、前売り券まで買って、春公開の映画を誰より楽しみにしていた彼女は、今年の学校祭も二人で休んで遊びにでかけようと話していた彼女は、どこにもいない。

でも本当に寂しいことは知ってもらえないこと、つまりは忘れてすらもらえないことなのかもしれない。確かに忘れることは寂しいことだけど、忘れていくことだって必要なことで。都合のいいことを並べていくと、なんだか人間って上手くできているね!ってことになってしまいそうだけど。主演の推しは、観に来た人の人生が変わるような舞台にしたいと言っていた。私にとってのあの舞台は、過ぎていった自分の人生にゆるしを与えてもらったような、そんな束の間の希望だった。

心が空っぽな人より、絶望だとしても何かを詰めていた方がいい、それが希望だといいよね。ニュアンスしか覚えて帰ってこられなかったけど、悲しみや怒りだとしても、心が動くのは私が人の形を保って生きているからであって。心がちぐはぐばらばらな状態の私をも肯定してもらえたみたいで、当時の私も今の私も、あの舞台にたくさん救ってもらった。

彼女のことを思い出さない日はないのに、どう頑張ろうとも時間を追うごとに私の記憶から彼女にまつわる何かが削げ落ちてしまって、逆に、鮮明な記憶はその影を濃くしていく。正直、彼女の分も頑張って生きていこうだなんて思ったことはなくて、自死ではないが、口癖のように「早く死んじゃいたいや」と言う物憂げな表情を何度となく目にしてきた身としては、それを望まれることはないとも思うし、頼まれたって私には無理な話だ。それでも私はただ彼女に、死んでも忘れてなんかあげないよ、と勝手に思っている。